釜仙大江戸川崎宿物語

初代の仙太郎は鋳掛け屋を営んでいたが、腕はいいが根っからの遊び人で仕事が終わればあっというまに遊びに行ってしまう。女房のトメはそんな仙太郎をなんとか舵取りをして仕事をさせていた。

 

こんなとき横須賀にペリーが現れ、世の中は大騒ぎになっていた。鋳掛けの仕事はやっただけの手間賃しか稼げないので、仙太郎はもっと楽して儲かる仕事は無いかと考えていた。
川崎の宿はペリーの来日もあり人の往来が多くなりそこそこの町になっていた。仙太郎は物の売り買いで利益を出せば、限界が見えてきた手間賃仕事より楽して儲かるのではないかと考えた。鋳掛けやの仕事の関係で、台所で使う鍋や釜の製造元と懇意になっていたので、日用品を扱う商売を始めることにした。

 

商品を集めることに関しては、遊び人の仙太郎は付き合いが広く、あまり苦労せずに商店の格好を付けることができた。
さて、商売を始めるにあたって商店の屋号をつけなければならない。その頃の日用品の代表格はご飯を炊くお釜である。釜を扱う仙太郎ということで屋号は釜仙に落ち着いた。屋号は釜仙に落ち着いたが、商売が始まると落ち着かないのが仙太郎で、店のことは女房のトメに任せっきりで相変わらず暇さえあれば遊びにでかけ、ほとんど店のことはやらなかった。…………